「死」をどう受けいれたら良いか分からなくても生きていける

ここ数日、「死んでしまったら自分はどうなってしまうんだろう」という考えにずっと囚われていた。

理由は分かっている。

「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」を読んだから。

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 (BUNCH COMICS)

「死んだあと、自分はどうなってしまうんだろう」「消えて取り戻すことはできない」「生き返ることはできない」「全てが終わってしまう」「自分のいないまま世界が続いていってしまう」などなど、考え出したらとまらない。しかも、治りの悪い口内炎のことを、「これは舌癌の始まりなんじゃないのか」と疑ったり、そう思うと、体中の感覚が死の警告に見えてしまう。

「これ以上考えると危険だ」と感覚が教えてくる。

一度このループにはまると中々抜け出すことは出来ない。死が空を覆いつくす雲のように人生に暗い影を落とす。

きっと答えが欲しいのだ。この死の恐怖を解決することのできる答えを。それは、悟りとか達観とか、そういった類のものなのだろう。

ただ、まぁ、いろいろ家族のこととか仕事仲間のこととかに思いをめぐらせると、以前よりも少しは落ち着いて怯えることが出来ているように思う。

今の時点で天涯孤独だったら、たぶんより深い闇の淵に立つことになっていただろう。結果、みんな死について悩み、解決しようと試み、そして、消えていったんだ。

ボクが求めているのは、結局のところ、不老不死のような幻想なんだろう。

今少しトンネルを抜けたように思うのは、「死んだらどうなるか」「どうやったら死を受け入れられるか」という答えが分からなくても、生きていくことはできる、という点だ。

「永遠に死を受け入れられなかったとしたら、どう生きていきたい?」と聞かれれば、基本的には今いる場所で一緒にいる人を大切にして、ムダかもしれないけれど自分の仕事をしっかりすることだと答えるだろう。

「今舌癌に侵されていて、あと1年しか生きられないとして、どう生きていきたい?」と聞かれても、別に享楽主義にはならないだろうし、別れの作業を出来れば良いなと思う。

ある意味、「仕方がない」となれば、ある種の苦悩はなくなるんだろう。逆に言えば、苦悩しているのは「死ぬ」という運命に抗っていることなんだとも思う。

死を受け入れられないまま、自分が生きたいように生きていくということは、両立し得る。今日はこんなところで、考えるのをやめようと思う。

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