侵略者は僕だった

トランプが大統領になった日本の午後、ぽっかりと心がえぐられたような感覚だった。そして、ここ数日、いろいろな論考読んで、その違和感が何だったのかが少しずつつかめてきたように感じる。

きっとトランプ当選によって打倒されたのは、僕だったのだと思った。トランプの当選の本当の理由は何か、その答えは素人の僕にはわからない。しかし、他のブログでもあったように、閉じられていく世界で鬱積し続けていた感情がそこに影響していたというのは僕にはとても納得のいく意味づけだった。

ヒラリーは確かに破れた。選挙のシステムの問題なども、色々と指摘をされているが、トランプはルールに則って、そして、勝った。正当な手順に従い、正しく勝ったのだ。

僕はその事実についてこう感じる。公平なシステムによって打倒されたのは僕だった。もしかしたら、トランプを支持した人たち、いや一般人、民衆と呼ばれる人たちが目の敵にしたのは、僕らだったのかも知れない。

自分たちは、無力な羊の群れだと思っていたけれど、閉じられていく谷間で生き抜く人から見れば、僕らは実際には弱い生き物を餌食にする狼であったのかも知れない。侵略者であったのかもしれない。

「自分は悪人だったのか?」

僕の動揺は、そういうアイデンティティの揺らぎだったのだと思う。

僕は自分の故郷を捨てた。これまでは、いつか帰るつもりだったけれど、帰省して眺める地元は、年々まさにどんどん閉じられていった。スーパーは閉まり、母は買い物をまとめて遠出して済ますようになっていた。小学校も統合されるらしい。「当面、地元には帰れない」、2016年のゴールデンウイークに、僕は心の中で故郷を切り捨てた。

そこには、正当な理由があると確信していた。職業上のスキルアップや、自分の仕事が人々の役に立つという理由付けをして、開かれた世界で自分が生きることを当然のことのように考えていた。けれどそれは、閉じられた世界からはどう見えるのだろうか。おそらく、僕は地元を捨てゆく裏切り者だろう。

勉強し、他の人よりも成果を出し、他の人よりも富を得ようとした。結果として、自分に突出した才能はなく、人並みの成果と、人並みのサラリーを得ることしかできなかった。自分は中流で、中の下くらいの人間だと思っていた。それでも、大きく分けてみれば、自分は開かれた世界の中に身を置いて、閉じられた世界の人たちの利益を奪っているのだろう。自分は、無垢な、マジョリティではなくなったのかも知れない。

今回の選挙は、民主主義の終わりではなくて、民主主義の中で虐げられていた人々がいつの間にか多数派になり、民主主義を使って反逆を開始したってことなのだろう。もちろん敵は私たちだ。民主主義で選ばれるものが自分の好むものでなくなってしまったとしたら、それでも民主主義の必要性をこれまでの様に声高に訴えられるだろう?

 

自分は、追い詰められた側から狩られる、支配的存在の一部であるのかもしれない、そういう衝撃だったのだ。

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