乙女をゲスのように

件のスキャンダルを私がどう消費していたかということ

 

 

もう、こればっかり聴いてた。

 

この曲をエンドレスリピートして、すべてがフィクションだけれど、彼女のその時々をずうっと想像していた。

 

ポジティブさのバケモノに自らか他者によってか、多分いろいろな循環のうねりをくぐって成り果ててしまった。

呪いのような孤独を埋めてくれるような瞬間があったんだろう。

 

幸福に包まれていたとき

ひみつをしってしまったとき

それでも不安定で人を踏みつける橋を渡ろうとしたとき

疑念で心がつぶれそうに揺らいだとき

ひみつがどうしようもなく汚くバレてしまったとき

親しい人に裏切りを釈明したとき

 

処刑台に登る一歩一歩で何が脳裏に何が浮かんだ?

 

そうして、終わったあと

棘のつき出た地面を這いずり回る。

 

思い浮かべただけで、動悸がする。

 

僕みたいに一人の女性の傷つきを消費する好奇の視線は、彼女にどう映るんだろうか?

 

雲はながれて 形を変えては 消えてく

はじめから 意味なんて なにも無かったみたいに

 

この曲は彼女の唄になった。

 


「自分は不機嫌じゃない」と言いつつも不機嫌な表情をする僕のトリセツ

ツイッターで、「自分は不機嫌じゃない」というのに不機嫌な顔してる夫に対して、「不機嫌な表情は不快だからやめてね」って要求する夫婦のコミュニケーションが話題になってます。

一緒にいる時に「自分は不機嫌じゃない」「怒ってない」と言いつつも不機嫌な表情をやめてくれない人と一緒に暮らすHowTo – Togetterまとめ 一緒にいる時に「自分は不機嫌じゃない」「怒ってない」と言いつつも不機嫌な表情をやめてくれない人と一緒に暮らすHowTo - Togetterまとめ

ツイッターではそういう夫を叩く声が大きく、ブコメでは妻の対応の叩かれっぷりもスゴイ。

男の自分が言うのもなんだけど、自分はこういうケンカをよくするなあと思う。自分のブコメでも書いたけど、

自分は「オレも大変だったんだ。キツかった。分かって欲しかったんだ。」ってトコまで吐露できると楽になるな〜。相手は面倒だろうけど、自分は立てて貰えれば素直になれる。まあ、喧嘩 → 吐露 → 仲直りパターンが多い。

不機嫌な顔になっちゃうことはあって、その時に「不機嫌なの?」って聞かれりゃ、「別に不機嫌じゃないよ」ってイライラしながら答えちゃうことが多い。余裕が無ければ無いほどこうなっちゃう。反対の立場で自分が相手にこんな投げかけをしてしまうことも当然あるんだけど。その後のケンカは結局のところ、「本当に自分が不機嫌かどうか」なんて関係ないんだよね。

きっと「このヒトは自分のこと何も分かってくれてない」「俺がかけて欲しい言葉はそうじゃないんだよ」ってことなんだと思う。それを「こんな対応のヨメは最悪」とか「家庭で不機嫌な顔するオットは最低」とか、そういう次元でやりあっちゃうから長期化してしまう。

だって、「その言い方は無いんじゃね?」ってケンカは、きっかけや核心とは既に違う所の争いだから。内容うんぬんよりお前の態度が気に入らない。自分の非礼を認めて私に謝れ!って要求には、お互い譲歩することは難しい。

もともとの引っかかりはきっと「自分の一番身近にいる人に、自分が大変なんだ、疲れてるほど頑張ったんだって、さりげなく分かってもらいたかった」とか「チョットほめてもらいたかった」、「気を遣ってチョット一人の時間が欲しかった」程度のことだと思うんだよね。

「表現が分かりづらくてゴメンね」(テヘペロ)くらいの落としどころが丁度良いんじゃないですかね。人を動かすの一説を思い出したな。


しあわせな結婚の1つの形 – 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜 しあわせな結婚の1つの形 - 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜

関係を扱うってこと

ちと哲学好きな知り合いが言っていたことの受け売り。

人と関係を結ぶことが苦手な人というのは、この世の中に一定数いる。

彼らは、その感情の激しさや、対人関係への執着の強さゆえに、なかなか安定した人間関係を築くことができない。

そういった人たちと信頼関係をつくる時には、そういうその人独特の対人関係のパターンに向き合うことが大切。

それを関係を扱うと呼ぶらしい。

具体的にどんな方法で扱うか

その方法は、まぁ、できるだけ一対一でその人と付き合うことが望ましい。

そうすると、良いときはスッゴク関係が深まるけど、手のひら返しのように激しい感情を向けられるようになる。

そうしたときに、その感情をなだめようとしたり、弁解したり、怒ったり、逆に丁寧に扱ったり、優しくしすぎたり、「しない」。

まず最初のステップは、それでも会い続けること。

そうして次のステップは、相手が感情をぶつけてきたことを、今の自分と相手の関係の中で話題にする。

相手がどう思っていたか、とか、自分がどういう感じがしたか、相手が何を恐れてたか、とか過不足ないように話してみる。

時折、過去のパターンも今回のことと似ているかもしれないね、って過去と現在をつないでみる。

そして、そういうことをまな板の上にのせて話した後でも関係を続けていく。

その先

そして、5年も10年も関係が扱われつつ続いていくと、きっととても深い絆が束ねられていく、ということだそうな。

・・・

なんか聞いていると途方も無く果てしない話しに思えてくる。

けれど、その人の周囲の人間関係はクセはあるけど、とても濃く深くうらやましいと感じるときもある(近寄りたくない時もある)。

まぁ、残りの人生で10年来の友人って何人か新たに作ることができるんだろうかね?

会話のイニシアチブをとる1つの方法

最近、会話におけるイニシアチブをどうやったら取れるかということを考えているのでそのアイデアを書き残しておきます。


an・an特別編集 2015年 内田篤人カレンダー[Naked]

(ワイルドなウッチーを見て強気で行こう!)

日常的コミュニケーション

問題にするのは、ディスカッションとか交渉とか、そういった相手を説き伏せることを前提としている場面ではなくて日常生活の中です。

交渉を前提にする会話で困ることは、僕の仕事の中ではそんなにありません。営業職や、厳しいディスカッションが必要な業務でもないので。それよりも、日常会話の中で仕事が降ってきたり、飲み会断れなかったり、飲み会が断れなかったりとか、飲み会が断れないなど、実際の影響がでてくるのでなんとかしたい。

イニシアチブをとる

イニシアチブをとる、目指す状況とは何か?それは、「自分がどうするかは自分が決める」ということを実現することです。「断りきれずに」とか「本当は嫌だったのに」といわずにやりとりをして、決断をすること。僕は、緊張しやすいほうだし、押しに弱いところがあるので改善したいと思っていました。

方法

思いつく方法を覚書。

相手のペースに乗らないことがまず大切。1つ効果的だったのは、リズムを崩していくこと。特に、早いほうに崩すのではなく、遅いほうに崩す。一瞬反応しない時間をつくる。

【悪い例】
<今度の飲み会いかないのか?>
「今回はちょっと」
<用事でもあるのか>
「最近、業務がきつくて」
<俺らが昔の頃は、先輩の誘いを断ることなんてできなかったぞ>
「いやー、すいません、ちょっと今回は」

こうなっちゃうと、会話のテンポは相手が決めることができる。こちらが、短めの答えで相手にターンを譲っちゃってるから。

【改善案】
<今度の飲み会いかないのか?>
「・・・えーと。。そうですね。今回は」
<用事でもあるのか>
「うーん。・・・先約があるわけじゃないんですけど、さいきん業務がきつくて」
<俺らが昔の頃は、先輩の誘いを断ることなんてできなかったぞ>
「・・・そうですね。。ただ・・・すいません、ちょっと今回は」

こんな感じ。即答しないことが大切、というか、相手のペースにあわせた切り替えしは、相手に得意な形で会話が進みます。なんというか、なれた状況で相手に会話させて、こちらはいつもと違うペースでついていかなきゃいけない。

こちら側が主導権を握るためには、相手がこちらのペースにあわせて話すような状況を作ったほうが良い。そして、彼のいつものペースから相手を遠ざけるには、相手のテンポをより遅くしていくことが一番現実的だと思う。

そうやって、テンポ崩しをしていくと、相手も「あれ?いつものかんじじゃねえな」と、違和感を覚えてくれるし「No」ということを聞き入れてくれることが多い。

これまでは何だか焦ってすぐにリアクションしていたけど、相手はちょっと待たせたり、ノーリアクションでも特に大丈夫だというのは、新しい体験だった。相手の働きかけ ⇒ ノーリアクション ⇒ なんて言うか考える ⇒ 応える、くらいのペースでも十分会話は成り立ちます。

ここ一年で、飲みに行かないキャラを確立し、気の乗らないコーヒーブレイクにも付き合わずに済むことが増えた。

会話について考える時は、ついつい「何を言うか」という内容にとらわれちゃうけど、ペースやトーン、間、声の大きさとか、そういった周辺の色々も大切なのだと思う。

ノイジー・マイノリティとサイレント・マジョリティ

目に見えないものをどうやって扱ったら良いのだろう?最近ブラウジングをしていて注意を引かれた言葉に「ノイジーマイノリティ(noisy minority)」があります。これは、

 「声高な少数派」を意味し、サイレント・マジョリティの対義語とされる。ラウド・マイノリティとも言われる。…
 その過激かつ積極的な姿勢のため、実際には少数派であるにもかかわらず、隠健かつ消極的な多数派よりも目立つ傾向がある。実質的にクレーマーと同等の意味合いを持つ。

 元来、社会的少数者たるマイノリティは、社会的な偏見や差別や抑圧に対する改善要求を社会的多数者に認知させることにより、ポリティカル・コレクトネスの形で実社会に反映させることがあるが、ノイジー・マイノリティとは、そういった正当な社会的運動の対立概念として扱われるものである。

 なお、明確な基準が存在しないため、実態に即した用法の他、社会的対立の中で敵対者集団に対するレッテル針に用いられるケースも存在する。
ノイジー・マイノリティ – Wikipedia ノイジー・マイノリティ - Wikipedia(2014年2月時点)

NOISY MINORITY

僕がブラウジングをしていて目につく発言が、明確な意味での「マイノリティ」という属性を持つ人から発せられたものかどうかは分かりません。けれど、ネット上での過激かつ敵意のこもった叫びの比率は、必ずしも、実生活における自治体だとか国だとかの範囲で、大多数の持っている人の考えでは無いと思うのです。

それは、ある意味当然のことでしょうし、そんなことは言わずもがななのでしょうが、企業がドラマのCMを降りたり、Twitterでの倫理観に欠けるツイートに対してその個人が所属する比較的大きな集団に対してレッテルをはって攻撃するシーンを見たりすると、その「言わずもがな」が通じない文脈やら状況やらがあるのだなあと思う訳です。

目に見えるものと見えないものの間で

ウェブに限ったことではないですが、「やったもの勝ち」「攻撃したもの勝ち」な所があるのも真実です。けれど、それが全ての状況に適用される法則ですか?と問われるなら、私の答えは「No」です。

主張しなければ相手には伝わらない、意見を戦わせなければいけない、ハッキリ声に出さないと誰もわかってくれないよ!・・・と確かに良いことなのかもしれませんが、そんな一方向に突っ走る正しい社会は個人的には、面倒くさくてついていけそうにありません。クラス全員ベッキーみたいな教室では、中学の頃の自分をふり返っても絶望的な気持にしかなれないなと思います。

人間や社会なんて、混沌でしかない。それを認めたうえで、どうやってその時のベターに近づいていくのかを考えた時に、一方向的な理想へ向かっていったり、とりあえず全てを主張し、表出し、前面に出てきたもので判断をするという形が必要なのでしょう。

けれど、それだけじゃないステップをどうやったら踏み出せるのか?ということもソロソロ考えても良いように思います。ネットでの誹謗中傷書き込みへの感想として、よく「これだから日本には住みたくない」という意見を目にしますが、僕はそうまでは感じないです。ニッポンの生活の中で、電車で席を譲る人も多いし、お店の人は多くの場合丁寧だし、身の回りに露骨に攻撃を仕掛けてくる人もそんなにいない。穏やかで注目されないやさしい日々が、淡々と繰り返されてもいるのも日本だと思うんです。それは、テレビに出る派手な友愛やハッピーでフランクでケセラセラな態度とは違っても。そういう映されないもの、取り上げられないものを、どうやって続けていけるかを個人的には考えていきたいと思うのです。それが、サイレント・マジョリティという、消極的でネガティブなニュアンスを含む羊の群れに自分が埋もれていくことであったとしても。