類人猿分類によるマネジメント

「類人猿分類公式マニュアル2.0 人間関係に必要な知恵はすべて類人猿に学んだ」を読みました。これは、ガイアの夜明けで紹介されていた広島のスーパー「エブリィ」が取り入れている、人事マネジメントプログラムです。

 

 

基本的には、①感情の表出をする・しない、②目的の追求を目指す・安定を目指すの2つのマトリックスを使って、ボノボ、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーに人をタイプ分けします。そして、それぞれの行動傾向や考え方に沿って、配置をしたり、声掛けを行う、自分のタイプを自覚して研鑽をつむという内容です。

感情表出する 感情表出しない
目標達成 チンパンジー オランウータン
安定 ボノボ ゴリラ

本の中にも出てきますが、この分類が科学的に“合っているかどうか”ってのは、あまり問題じゃないんだと思います。むしろ、この“システムが良くできてるなあ”という感想を持ちました。

人にあわせて褒める

よくあるテキストは、「○○という言い方でほめる」など通り一遍のほめ方になるリスクがありました。けれど、本書の方法は、「相手がどんなタイプかをみる」→「あるほめ方を試す」→「反応をみる」というプロセスを行うことによって①褒めスキルバリエーションが増える、②相手を観察する行動が増える、③褒めスキルの使い分けができる、という“臨機応変なほめ方”につながります。分類が当たっているか否かにかかわらず、後者のほめ方は褒められる方からしても飽きのきにくいものでしょう。

「4つ」の分類

また、分類のパターンが4つというのも考えられています。これが10も20もあると、いくら詳しくても多すぎて活用できない。自分のタイプを決めると、それ以外の人とで必ず1対3の構図で社会が計算されるシステムです。そうすると、自分 v.s. 自分以外の対立構造ではなくって、自分も社会の構成要素の一つとして位置づけることができます。どちらが少数か多数か、正しいか間違っているかといった対立軸を脱却して、「相手はボノボだからこういうことを考えているんじゃないか?」てなタイプに分かれた想像力を刺激するのは良いところです。

それぞれのほめ方

備忘録的に残しておきます。

オランウータン:一匹狼、オタク的、納得が大事

  • この仕事は○さんに任せたので、自分のカラーを出してください
  • これまで思いもつかなった案だけど、○さんの分析を聞くと確かに納得できる
  • データを分析して理由を調べてください
  • ○さんの視点で改善案を出してください
  • 具体的にどういう所を工夫したの
  • センスが素晴らしい

ゴリラ:地味、イレギュラーに弱い、安定志向

  • この職場は全員の意識が高いですね
  • あなたの仕事が店全体の売り上げに貢献しているよ
  • スタッフがみなレベルアップしている。○さんがみんなを指導してくれた努力が実を結びましたね。
  • ○さんの気遣い助かったよ
  • ○さんが陰で動いてくれているから皆スムーズに働けているんだよ

チンパンジー:勝ち負け重視

  • ○さんだから頼んだんだ
  • 君の右に出るものはいない。No. 1だね
  • ○さんやっぱり力があるな、すごいな
  • 君のおかげだ

ボノボ

  • そのままのあなたで大丈夫
  • ○さんと仕事ができてうれしいよ
  • しっかり休んでる?無理をしていないか心配だよ
  • 私も協力するから一緒に頑張ろうね
  • ○さんがきてくれてからチームが明るくなったよ。
  • 皆が楽しそうに仕事をしてるのを見るのがうれしいよ。

などなど、自分なりに使えそうなものを抜粋。個人的にはタイプ別の成熟の話はややこしくって、そこではない上記のキモが大切だったと思ったので読み飛ばしました。同僚や友人など、「Aさんはボノボだな」、「Bさんチンパンジーっぽいし、こんどこんな声掛けしてみよう」と想像しながら読むと楽しめそうな一冊です。

 

参考URL

【診断】3秒でわかる!類人猿分類法で性格診断やってみた!(仕事・対人関係) – 轟け!サブカル女子 【診断】3秒でわかる!類人猿分類法で性格診断やってみた!(仕事・対人関係) - 轟け!サブカル女子

大江健三郎 『「自分の木」の下で』と、ズレを持ってくり返される昔ばなし

伊集院光と大江健三郎の過去のラジオ対談から興味が沸き、大江健三郎の著作を初めて読んだ。

 

 

これは、子ども向けに書かれたものであるけれど、これから自分がどう生きて、どう死んでいくかを考えさせられる。衝撃は、やっぱり著者が高熱から生死の淵を彷徨いながら母親と交わした冒頭のエピソード。

――お母さん、僕は死ぬのだろうか?

――私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。

――お医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それが聞こえていた。僕は死ぬのだろうと思う。

母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。

――もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。

――・・・・・・けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?

――いいえ、同じですよ、と母はいいました。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。

この水脈に流れている愛情は、やさしく暖かいのみではない。恐ろしさも含んだ愛情だ。

 

ノーベル賞作家が子どもに向けて書いた本から、僕はどこか生き方の How to を探していたことに気付いた。このエッセイの中で、いくつか考え方や勉強に関する方法が説明されている部分はある。けれども、読後に残ったものは、著者の自分語りを通して実感できる感覚、子どもと今の自分が連続しているということ、それは過去と未来をくり返し思い出すことによって、より明確化できることなのだろうとというものだ。

僕は、自分の記憶力に自信がない。もう、ちょっと前のことでも簡単に忘れてしまう。けれども、自分の中にたくさん残っている痕跡にふと再会して、正確ではないけれど、幾度もズレながらそれを自分の中や他人に表現することによって、(正確な事実がではなく)「僕」という人となりが明確になっていくのだろう。

懐古主義や長い話しをぼくは嫌いだったけれど、そうやってもし長い話しを聞く機会があるのであれば、その瞬間は僕が相手の「人となり」を際立たせている瞬間(その人自身が際立たせることをアシストしている)に他ならない。そう考えると、長話を聞くのもそんなに悪いことじゃないのかもしれないと思えてくる。また、自分自身の自分語りは嫌いだし、避けて通ってきたけれど、いつかだれかに聞いてもらいたいなと思ったのです。

かくかくしかじか 読了

Kindle でずっと楽しみにしていた「かくかくしかじか」の最終巻を読んだ。


ずるさ、不真面目さ、惰性、後悔、裏切りなど、とってもとっても生々しくって、自分のそういう面を見せられているような気もした。強烈な不幸や、悲しみ、逆境と違って、そういった後ろめたさは描かれることが少ない。だって「お前が悪いんだろ」「後悔するなら、最初からやれば良いだけだろう」と作家が後ろ指を指されることが明らかだからだ。

だからこそ、それが描かれていることは自分にとっては、ある種の救いになっている。

そして、僕も僕の先生といつか別れねばならないのだ。

「フォントの不思議」はとっても良書だった

あのヒラギノ明朝をデザインした書体デザイナー小林 章(こばやし あきら)。この「フォントの不思議」の中では、彼がブランドロゴや自身で撮った写真を中心に色々なフォントとその魅力を紹介していきます。



現在使用されているフォントのルーツ。建造物や銅板印刷などの特徴からフォントが形作られている例示など、かなり専門的な内容がある一方で、「フォント選びは見た目で十分」と、やわらかいフォントとの接し方を教えてくれます。書籍だけでなく、いくつかブログも運営されています。

小林章のドイツ日記2 小林章のドイツ日記2

デザインの現場 小林章の「タイプディレクターの眼」 デザインの現場 小林章の「タイプディレクターの眼」

私は英語のフォントの違いなど分からないですが、彼の作ったClifford(クリフォード)やLuna (ルナ)というフォントはとっても美しくて現在購入を検討中です。

FF Clifford™ – Webfont & Desktop font « MyFonts FF Clifford™ - Webfont & Desktop font « MyFonts

ITC Luna™ – Webfont & Desktop font « MyFonts ITC Luna™ - Webfont & Desktop font « MyFonts

フォントに興味はあるけれど、小難しい本は読みたくないという方(もしろ小難しいものを読みたい人にも)へとても良い一冊だと思います。

落語の世界観 ―人間はまぬけで美しい―

人間はまぬけで美しい

これは、落語家経験を持つ伊集院光が自分のやりたいお笑いについてラジオで語った言葉です(伊集院光の人間観 – 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜 伊集院光の人間観 - 凹レンズ 〜まとまりのない日記〜)。桂米朝が2015年3月19日に亡くなり、彼の著書である「落語と私」を読んでみました。

私は落語に触れる機会は少ないけれど、伊集院光のラジオが好きで、その世界観にとても興味をもっていたし、ツイッターなどでこの本が絶賛されていました。


この本は子どもへ向けて書かれており、表現が非常にわかりやすく、そして落語家独特のことなのか自然と興味が本の中に集中していき、とっても楽しく読むことができました。そこで、本エントリでは、桂米朝の語る落語の世界観について紹介します。

桂米朝の語る落語の世界

落語家はメーキャップもコスチューム(衣装)もありません。素顔に高座着、扇子と手ぬぐい、舞台の背景も小道具もありません。しゃべるだけの芸です。したがって雰囲気というものが非常に大事なのです。

また、映画や歌舞伎、紙芝居などと比較して、落語には視覚的媒体が極めて少ないことが説明されます。だからこそ、物の置き方、視線の向け方、部屋の大きさを想定した声のかけ方、振り返り方など落語家の機微が重要な役割を果たしていきます。意識的・無意識的にでも立体感を持った世界を想定していることが重要になってきます。もし、その点が不十分であると違和感が生じます。

この違和感というやつが落語の場合、非常に困るものなのです。背景も衣装もメーキャップも小道具もない落語ですから、ただおしゃべりによって、何のこだわりもなく自然にはなしの世界にはいって来てもらわなければならないのに、ちょっとした気持ちのひっかかり、抵抗感、これがあると困りますね。

そして、落語家の声、調子、視線、ふるまいによって、リアリティを伴って動き出す世界をありありと構成していきます。しかし、それが「凄い」という所で終わらないのが落語らしさです。落語の最後には必ずサゲ(落ちのこと)があります。

サゲ……というものは一種のぶちこわし作業なのです。さまざまのテクニックをつかって本当らしくしゃべり、サゲでどんでん返しをくらわせて「これは嘘ですよ、おどけ話ですよ」という形をとるのが落語なのです。

落語は、物語の世界に遊ばせ、笑わせたりハラハラさせたりしていたお客をサゲによって一瞬に現実に引き戻す。そしてだました方が快哉を叫べば、だまされた方も「してやられたな、あっはっは」……と笑っておしまいになる、いわば知的なお遊びです。

粋とは、こういうことを言うんだろうなと思いました。桂米朝の解説は解説であるにもかかわらず、かくあるべきという頭でっかちでなく、落語の雰囲気を味わいたくなる丁寧な語りでした。いつか生で落語を見てみたい。

落語 天狗裁き 桂米朝さん 落語 天狗裁き 桂米朝さん

落語国の人々と人生と死と

そして、最後に「やっぱりこの本を読んでよかった」という文章が待っていました。

好人物で働き者で、小心で律儀で、そのくせ、適当に欲も深くて、酒が好きで遊ぶことも好きで、世間のつきあいがよくて……、おっちょこちょいで、野次馬根性があって、人の噂ばなしが好きで、適当に正義漢で感激やで世話好きで、子どもはたいていこましゃくれていて、おかみさんはみな、世話女房でおしゃべりが好きで、苦労性でそのくせ楽天家で、ぬけめがないかと思うと、損ばかりしていたり……。

偉大な人物はいないかもしれませんが、しかし、平凡な人間ではあるが、こんな人が町内にいたらみなが助かるとか、こんな人が大勢いたら世の中はもっと良くなるだろう……と思われる人はたくさん落語国にいます。

落語は現世肯定の芸であります。

大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、一日一日が無事にすぎて、なんとか子や孫が育って自分はとしよりになって、やがて死ぬんだ……それでいい――というような芸です。

その基盤とするのはごく普通の「常識」、これであると思います。

読んだときには、ちょっと泣きそうでした。

僕らはいつか死ぬ。それでも、日々笑うことや、儚い人生も愛することができる。大真面目にならなくったって、いや、大真面目の中にも不完全さを愛でる気持ちを持つことによって、僕らは現世の自分にやさしくできるのかもしれない。

桂米朝の「落語と私」はそんなことを考えさせてもくれました。真面目くさって書くのも、無粋なことなのでしょうが、僕はとても救われた気がします。