2017年の目標

2017年の本ブログでの目標です。年末には、その結果について記載します。

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  • 目標
    • 結果記述欄

という形式。

2017年の目標

うーん、ブログに限るとこの2つかな?意外と少ない・・・。

ARC’TERYX の ATOM AR ジャケットがとても良い

軽くて暖かい防寒具が欲しい。

この3年、ずっと新しい通勤用のジャケットを探し続け、迷い、結局手に入れられずにいました。去年は、Patagonia のナノエアを買おうかどうか、本当に迷った挙句、袖の丈が長すぎるため、購入に至りませんでした。

この冬、ナノエアにするか否かだけを決めようと、ショップに繰り出しました。

そして、店員さんに教えてもらって、一目惚れして購入したのがARC’TERYX の ATOM AR ジャケットです。



ARC’TERYX の商品を買うのはこれが初めてだったので、覚書。

アークテリクス(Arc’teryx )は、衣料品、アウトドア用品を手がけるメーカー。1989年に、カナダ ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバーで設立された。アークテリクスという社名は、最古の鳥類として知られる始祖鳥の学名にちなんでいる。ロゴは、発見された化石の中で最も状態の良いベルリン標本をもとにデザインされている。
アークテリクス – Wikipedia アークテリクス - Wikipedia



使用感

 430g とそこまで軽いわけではないですが、着心地はとてもフィットし、動きやすく快適です。しっかりと首元と袖口、腰回りが締まるため、ジャケット内の暖かい空気を逃さない構造になっています。今は、まだ11月中旬ですが、非常に暖かく過ごせているため、この冬はこれ一着で乗り越えられそうだと期待しています。

侵略者は僕だった

トランプが大統領になった日本の午後、ぽっかりと心がえぐられたような感覚だった。そして、ここ数日、いろいろな論考読んで、その違和感が何だったのかが少しずつつかめてきたように感じる。

きっとトランプ当選によって打倒されたのは、僕だったのだと思った。トランプの当選の本当の理由は何か、その答えは素人の僕にはわからない。しかし、他のブログでもあったように、閉じられていく世界で鬱積し続けていた感情がそこに影響していたというのは僕にはとても納得のいく意味づけだった。

ヒラリーは確かに破れた。選挙のシステムの問題なども、色々と指摘をされているが、トランプはルールに則って、そして、勝った。正当な手順に従い、正しく勝ったのだ。

僕はその事実についてこう感じる。公平なシステムによって打倒されたのは僕だった。もしかしたら、トランプを支持した人たち、いや一般人、民衆と呼ばれる人たちが目の敵にしたのは、僕らだったのかも知れない。

自分たちは、無力な羊の群れだと思っていたけれど、閉じられていく谷間で生き抜く人から見れば、僕らは実際には弱い生き物を餌食にする狼であったのかも知れない。侵略者であったのかもしれない。

「自分は悪人だったのか?」

僕の動揺は、そういうアイデンティティの揺らぎだったのだと思う。

僕は自分の故郷を捨てた。これまでは、いつか帰るつもりだったけれど、帰省して眺める地元は、年々まさにどんどん閉じられていった。スーパーは閉まり、母は買い物をまとめて遠出して済ますようになっていた。小学校も統合されるらしい。「当面、地元には帰れない」、2016年のゴールデンウイークに、僕は心の中で故郷を切り捨てた。

そこには、正当な理由があると確信していた。職業上のスキルアップや、自分の仕事が人々の役に立つという理由付けをして、開かれた世界で自分が生きることを当然のことのように考えていた。けれどそれは、閉じられた世界からはどう見えるのだろうか。おそらく、僕は地元を捨てゆく裏切り者だろう。

勉強し、他の人よりも成果を出し、他の人よりも富を得ようとした。結果として、自分に突出した才能はなく、人並みの成果と、人並みのサラリーを得ることしかできなかった。自分は中流で、中の下くらいの人間だと思っていた。それでも、大きく分けてみれば、自分は開かれた世界の中に身を置いて、閉じられた世界の人たちの利益を奪っているのだろう。自分は、無垢な、マジョリティではなくなったのかも知れない。

今回の選挙は、民主主義の終わりではなくて、民主主義の中で虐げられていた人々がいつの間にか多数派になり、民主主義を使って反逆を開始したってことなのだろう。もちろん敵は私たちだ。民主主義で選ばれるものが自分の好むものでなくなってしまったとしたら、それでも民主主義の必要性をこれまでの様に声高に訴えられるだろう?

 

自分は、追い詰められた側から狩られる、支配的存在の一部であるのかもしれない、そういう衝撃だったのだ。

2016年買ってよかった物リスト

今年も残りわずかとなりました。そこで、2016年に買ってよかった物リストをまとめておきます。

死すべき定め



今年のベストは、間違いなくこの「死すべき定め」です。インド系アメリカ人、ハーバード大学病院で勤務する医師であり、ドキュメンタリーライターの著者がアメリカの高齢者医療・終末期医療と自分の周囲の人や家族の死を迎える過程を経て、現代社会でどのように衰えと死と向き合っていけばよいかを提案していきます。私も、家族と厳しい会話をいつかしなければと思うと同時に、その勇気をもらったように感じます。

夏用のメッシュ靴

エントリーにしたこちら → GUメッシュスリッポンシューズの感想 | 凹レンズ ―まとまりのないブログ―よりも、下のアディダスのランニングシューズばかり履いていました(GUのスリッポンは会社の置き靴に)。



メッシュが涼しいのはもちろんですが、軽さと良質なクッションがとてもよかったです。急な長距離移動などもこの靴でふらりと出かけたんですが、不思議なほど疲れませんでした。私は上のカラーではなく、紺に黒いラインのものでソコソコ会社でも履けるデザインでした。普段の履きをランニングシューズにすると、劇的に日常生活が楽になります。

ボタン式USBハブ




USB式のペンタブを使う時だけアクティブにしたかったので購入しました。使い勝手は非常によく、重宝しています。

昭和元禄 落語心中

ここ数年では間違いなく私の中の漫画のトップです。




人間はまぬけで美しい。堂々の完結でした。

入門者のExcel VBA

もう一冊、書籍です。




去年から、マクロを独学でポツポツ触ってきましたが、理解できたという実感が持てませんでした。しかし、この本は本当に分かりやすくVBAについて体験学習させてくれます。時間があれば、1日でワークもやり終えることができるので、VBA、マクロを使いたいという人は、ぜひ手に取ってみてください。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ



さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ | Matogrosso さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ | Matogrosso

上の試し読みがかなり話題になったので、覚えている人も多いのではないでしょうか?ここまで自分の内面の、つかみにくい部分、「あいまいで でも決して満たされない部分」を表現できた執念に脱帽。読後は、人生をぶつけられたみたいで圧倒された感覚が残った。

来年買いたいモノ

・・・追記予定・・・

まとめ

全般的に、書籍ばっかりのレビューになってしまいました。けれど、今年は本当に良い本に巡り合えた一年だったと思います。残された時間の中でも、良い商品があれば追加していきます!

関連エントリー

憧れの人から学べるのは、彼になれない絶望と「不確実な状況に飛び込み、自分を変えていく」勇気。

伊集院光とラジオとの2016/8/9のゲストはイッセー尾形だった。

伊集院光 公式ブログ – 生放送後記 – Powered by LINE 伊集院光 公式ブログ - 生放送後記 - Powered by LINE

そこで、何というか職人に憧れて「こうなりたい」と思うこと、そうしてその人の方法論や手順を真似ようとすることと、本人のやってきたことには、大きな隔たりがあるんじゃないか?と「ハッ」とした。そのことについて書き残しておく。

イッセー尾形がやってきたことと、真似たい側が聞きたいことのズレ

リスナーからの質問がくる「どうやって人間観察をしているんですか?」と。イッセー尾形は答える。

よくそのことを聞かれて30年以上答えてるんですけどね。相手が納得した顔は、一度も見たことがない。どうすればいいのかな?

観察って言うと見に行くわけじゃないですか。見に行くわけじゃないんですよ。目に入ってくることはあるわけですよ。

自分のいる場所や、周囲にいる人で、「印象にのこちゃう人」が自分の中にも、他の人にもある。ネタを考えているときに、ストックから出す訳じゃなく、こういうネタをつくろうとするときに「ふと」○○な男が××な状況にいると面白いんじゃないかと、考え出されていくと語っていく。

多分、本当に聴く人が知りたいことと、イッセー尾形がやってることの間に、山より高いへだたりがあるんだなと思った。情報が足りないんじゃない、説明が足りないんじゃない、方向性や出発点自体が全くズレてしまっているんだ。

僕は憧れる。イチロー、天野篤、伊集院光、川上量生・・・。その人が書いた本を読んだり、情熱大陸見たり、その人がやってことをその通りに真似てみようとしたりする。また、昔「その人から言われたようにやれば、その人のようになれる」って思いこんでた時期もあるけれど、それも大きな間違いだったなと今ではわかる。あなたの憧れる人は、他人から言われたことだけをただこなすだけの受動的な人ではなかったはずだ。

イッセー尾形がやっているのはこんなことじゃないか

これ以降は完全に僕の想像です。

イッセー尾形は、ワザワザ面白い人を見つけようと出かけて、事前にこのポイントを観ようと考えて、観察したものをノートにまとめ、ネタを作る時にそのノートから情報を出すという訳じゃない。もうちょっと言語的じゃない、もっと肉体的で、作り出す、生み出すプロセスなんじゃないかな?と思う。

日々の生活の中で、自然にみていたものを、なんとか捻りだしてネタを作っていく。

その結果、その中で「これだ」と思うハッとする爽快感、観客の笑い、に浴びせられる。

その後、自分の自然な生活の中でも、その焦点のあてかた、注意の向け方が変わり、習慣となっていく。

だから「どういう風に(な戦略で)人間観察してるんですか?」じゃなくて、沼からドロドロに掴みだしたものによって、自分という生き物のシステムが変わっていった。そういうモノをつかみ出す生き物になっていった、ということなんだろう。なんていうか、餌が取れる泳ぎ方を続けていくうちに、エラやヒレの形が変わってしまった魚のようなもの。きっとその形になる確証なんて全くなかった、ただただ泳ぎ、食べてきたことによって、その形になってしまったというものなんだろう。

こういう風に、生身の自分で飛び込んで、自分なりの形で正解が分からぬまま作り出し、人前にさらし、どんな結果になるか分からないけれど、生き物としてのシステムを変える。そういうことなんだろう。

そして、それは、ハズレを引く可能性を含んでいる。自分が死ぬ可能性、自分が間違ったものになってしまう可能性、尊敬する人からお前違うぜと言われる可能性。そういうリスクがあるなかで、「でもやるんだよ」ってことがきっと彼を変えていったんだろう。

僕は彼らと同じ世界でどう歩いていくんだろう?

僕は、自分の領域でのエキスパートに憧れた時に、喋り方や仕草を真似てみたり、本を読んでみたり、同じところに行ってみたり、そういうことやってみたりした。確かにそれも1つの方法かもしれない。けれど、僕はその方法では完全に行き詰まってしまった。好きなブロガーのpalさんのツイートを読んだ時も、似た感覚があった。

佐藤寿人を真似ても彼がやっている方法をやったとしても全く同じにやったとしても、きっと、きっと、彼と同じには絶対なれない。それは、とっても残酷なこと。

自由研究をしたり、卒業論文を書いたり、自分から何かを考えてやってみる経験と言うものに昔から疑問を持っていた。既に確認されている効率が良くてすばらしい情報があるのに、なんで1からやらないといけないんだ。けれど、その場面を用意した人たちが考えていたのは。何もないところから何かを作り出す体験を学んで欲しかったんだろう。文字として書くと当たり前のことだが、僕は実感として掴むのに時間がかかりすぎたように思う。

誰かに憧れて何かを始めると言う事は、必ずどこかで「憧れる大好きな人にはなれない」という最初の夢をあきらめなければいけない。悲しい絶望を受け入れなければならないっていう宿命を背負っているのだと思う。けれど、悪いことばかりじゃない。それは、憧れの人の勇気をもらって歩くことで、自分になれるチャンスが残されている。

ぼくができること

大好きな人たち。憧れの対象として、これまで僕の心の中にいてくれて、本当にありがとうございました。僕は、あなたたちをある側面で切り捨てていきます。

大好きです、さようなら。