くだらない生活を続けているのは、舐めてるからだ

失敗の科学を読み進めている。これは、間違いなくスゴ本だ。

今は、途中だけれど少し気になる部分があったので引用する。

我々は世界を「単純化」しすぎる

今、あなたの頭の中にはこんな疑問が浮かんでいるかもしれない。

「アイデアや仮説が正しいかどうか早い段階で試すなんて当たり前の話しだ。それすらやっていないビジネスリーダーや政治家がいるなんて、どういうことなんだ?」

実は、「正しいかどうか試してみる」を実行に移すには大きな障壁がある。実は我々は知らないうちに、世の中を過度に単純化していることが多い。ついつい「どうせ答えはもうわかっているんだから、わざわざ試す必要もないだろう」と考えてしまうのだ。

・・・

もし我々が勝手な理屈で「世の中は単純だ」と思い込んでいれば、試行錯誤の必要は感じない。その結果、ボトムアップ式を怠りトップダウン式で物事を判断してしまう。自分の直感やすでに持っている知識だけを信じ、問題を直視せず、都合のいい後解釈で自己満足に陥り、その事実に気づかない。本当なら自分のアイデアや仮説をテストし、欠点を見つめ、学んでいかなければならないのに、その機会を失ってしまうのだ。

これは、僕にとってはとても身につまされる話だ。

家での夜の過ごし方が以前からもったいないと思っていた。家事に追われ、自分の勉強や仕事に時間を割けない。この状況を改善しなければいけないと思い、寝落ちしないように歯磨きを必ず早くしよう、そうして、眠気の波がきてもそれをかわして24時には余裕を持って寝よう。そうすれば充実した日々を送れる。

こう考えることはある。それでも、このアイデアを実行して、より良い生活を手に入れることが、何年も何年も続いていた。これは結局のところ、自分が「プライベートな時間の過ごし方」なんて、頑張ればどうにでもなると、無自覚に世の中を過度に単純化していたんだろう。

生活は大事だ。なんせ、これからも数えきれないほど繰り返すのだから。でも、「素晴らしい家での過ごし方を身につけるためには、まず酷い過ごし方をたくさんやってみよう」と自分とかたら余裕があったらよかったのかもしれない。家の生活でも「リーン・スタートアップ」だ。

女の機嫌を直すフレーズ集

黒川伊保子の「女の機嫌の直し方」。脳科学の妥当性についてはチンプンカンプンなのだけれど、女性が考える女性の機嫌の直るフレーズは貴重なので覚え書き。

 

 

私も相づちには「あいうえお」を使えと言い続けてきた。「あ〜、そうなの」「いいね、それ」「うんうん、そうなんだ」「え、そうなの!?」「お、そうきたか」のように。

相槌のバリエーションを増やしやしたいというのは思う所。母音の異なる言葉ってのは確かに有用かもしれない。

女が男に、何かを嬉しそうに提案する機会なんて、そうたびたびあることじゃない。あれは、共感してもらう気満々の、とても無防備な状態なのである。

前に、対立していた人に歩み寄ろうと思って発言した時に、バッサリ、一刀両断にされた。あの時は物凄い傷ついたんだけれど、あれは無防備な状態だったなあ・・・。

過去時間をねぎらう言葉の例

「きみのあの気づきはよかったね」

「あのとき、よく努力したね」

「半年まえの、きみのあの気づきよかった。あれはきみならでは、だったね」

「きみは、こういうセンスが抜群なのに手を抜いただろう」

こういうのは男性も言われると嬉しいと思う。

待機時間を楽しむ言葉の例

「梅雨が明けたら、美味しいビールを飲みにいこう」

「寒くなったら、ちゃんこ鍋を食べにいこう」

先の、楽しみの手触り、肌触り、温度が感じられる言葉って良い。それを口にするだけで、体験を部分的にではあるものの、相手にプレゼントすることにもなるのだろう。

謝るときの例

『あなたって、どうしてそうなの?』「本当に自分が嫌になる。不器用で、本当にごめんなさい」

『一緒にいる意味がわからない』「バカなこと言うなよ、一緒にいるだけで意味がある。そんな女はお前だけだ」

「きみしかいない」は、女性脳を必ず惹きつける。

「うん、あなたの言うとおりだね」

この「本当に自分が嫌になる」ってのは、対立構造を一気に組みかえる魔法のようなフレーズだ。以前、デートについて伊集院光が語っていたことを引用したエントリを書いた。

共感するっていうのは、相手と同じ立ち位置に立って物を見ることで成立するのだと思う。そういう意味で、自分の立場から抜け出すって魔法が使えると便利なんだろうなと思う。

 

 

謝罪も基本的には、「あなたはこういうけれど、本当は○○なんです。だから僕を許してください」っていう対立構造をはらむ。謝罪も、あなたと私は別に存在することが明確。

この様にすることで、同じ立ち位置から同じもの(自分)を見れる。

その他

「おまえに会えて、ほっとしたよ。おまえに会うために、今日一日を闘ってきたんだ」

やさしい言葉を使う意味は以下の文に集約されている。

「心にないセリフでいいの」と私は言った。「でもね、その優しいことばに、奥さまがほろりとして笑顔になったら、あなたはきっと言ってよかったと思うはず。あとから優しい気持ちが追いかけてくる。それで十分」

 

電車内でiPhone音声入力を使う方法

iPhoneの声入力は便利ですが、使う場所が一人きりになれる状況に限られるというのが悩みでした。そこで、本エントリーでは、iPhoneの音声入力を電車の中で使う方法について提案します。

具体的な方法

基本的には、音声入力をいかに目立たずに行うかという方法になります。今のiPhoneであれば、少々の走行音があってもきちんと言葉を認識してくれます。

  • あまり混んでいない状況を選ぶ
  • 他の乗客と距離の取れるスペースを確保する
  • 電車が動き始めてから入力を開始する
  • イヤホンマイクを使い、マフラーや襟の中に収める
  • マフラーやコートの襟で口元の動きを隠す
    • これは、音漏れ防止の効果や、走行を防ぐ効果も期待していますが、あまり意味がないかもしれません

心や技術の問題

電車の中で音声入力を使って感じたのは、予想以上に気持ちのハードルが影響するということです。最初に音声入力をしたときには周囲の乗客の目が気になり、変に思われてるのではないかとかなりソワソワしました。少し時間が経過していくといつの間に新文章の入力に集中していました。電車の中で音声入力をするという行為自体に慣れる必要があるのだと思いました。

さらに、口元を隠しながら音声入力をしていく技術によってもやりやすさというのは変わってくるのではないかと思います。このエントリーを書くだけでも、音量を調節したり、小さい声でもはっきりと喋るように心がけてみると、認識のされ具合が変わってくるというのが分かります。

音声入力が広まらない理由は「恥ずかしさ」? キーボードが滅びる未来はくるか (1/2) – ITmedia Mobile 音声入力が広まらない理由は「恥ずかしさ」? キーボードが滅びる未来はくるか (1/2) - ITmedia Mobile

個人的の注意点

私は、Evernoteで記事を書きためていますが、電波の悪い所を通っている時に、同期が上手くいかず、このエントリーが一度消えてしまいました。すべての文章をコピーしてからEvernoteを閉じたり、同期をしっかりと確認したりするように気をつける必要があります。

まとめ

音声入力は便利で、それを知っていたにも関わらず、これまでは活用することがほとんどできていませんでした。実生活を便利にするためには、進化したテクノロジーを上手く運用することが重要ですね。今回は冬場限定の方法になってしまいましたが、皆さんも是非お試しください。



自分の愚かさをさらけ出して、チェックリストを使うことができますか?

アトゥール・ガワンデの「アナタはなぜチェックリストを使わないのか?」を読んだ。

 


 

これは、チェックリストに関するライフハックについて書かれている本ではない。1人の医師が、世界中で行われている手術の安全性を高めるために、専門ではない領域のプロに話しを聞き、自分のいる分野の欠点を認めながら、自らの行動を変えていく変革の物語だった。

医療には「単純な問題」「やや複雑な問題」「複雑な問題」が混在している。・・・私はこれらの問題について長い間考えてきた。私はできる限り良い医者になりたい。そのためにも、マニュアル通りに動くべき場合と、自分の判断で動くべき場合を見極めるのは非常に重要だ。単純な仕事は確実に行われるようにしつつ、創意工夫の余地や不測の事態に対応できる柔軟性も残したい。

このチェックリストにまつわる、複雑性と柔軟性の謎を著者は解き明かしていく。

建設業界のチェックリスト

まず取り上げられるのが、莫大な数100メートルのビルも安全に作り上げる建設業界のチェックリストだ。

新しいプロジェクトを始めるときは、まずチェックリストが作られるそうだ。十六種の代表者が話し合い、各業種の仕事をまとめた大きなチェックリストを作るのだ。・・・完成品は見事だ。数百人から数千二んの知識をそれぞれ適切な場面で、適切なタイミングで、適切に活用する、詳細なチェックリストができるのだ。

僕はここまで読んだだけで、「こりゃあ、すごい。自分の仕事でも、プロジェクト全体のチェックリストを作ろう!」なんて思いましたが、もっと大きなパラダイムシフトを建設業界は果たしていました。それは「提起スケジュール」と呼ばれるもので、予測される問題のためにコミュニケーションの予定を前もって入れておいたり、問題が発生した時にすぐにミーティングが計画され、そこで話し合いが行われることがチェックされる仕組みである。

単純な手順の間違いを防ぐチェックリストと、話し合いをすることで解決をもたらすコミュニケーションのチェックリスト、この2つの組み合わせがミソである。

医療業界のチェックリスト

医療業界では手術に関するチェックリストが紹介されている。手術チームのチームワークを向上させる取り組みもある。

手術開始前に看護師に自己紹介と懸念を話す機会を与えると、その後も問題を提起したり、解決策を出しやすくなる、という研究結果がでた。彼(ジョンズ・ホプキンス)らはこれを「活性化現象」と呼んだ。最初に何かを言う機会を与えられることで当事者意識と責任感が高まり、その後ももっと発言しやすくなるのだ。

航空業界のチェックリスト

さらに、最もチェックリストを有効活用しているのが航空業界である。安全なフライトのために、チェックリストを作成するために莫大な試行錯誤が行われてきた。

誤解されがちだが、チェックリストはマニュアルではない。・・・すべての手順を詳細に説明するものではない。チェックリストは、熟練者を助けるためのシンプルで使いやすい道具なのだ。素早く使えて実用的で、用途を絞ってあるという特性こそが肝要だ。

この勘違いを僕も起こしていたな、と気づかされます。もともとの自分の中のイメージでは、必要な工程をすべて書き出してチェックリストを作れば、項目を網羅できていればそれだけ完璧だと思っていました。けれど、手術やフライトなど、専門技術を発揮する場合には、スペースを埋めるのではなく、過不足の無い形にすることが大切なのだと気づかされました。

チェックリストを使う恐れ

どんな領域でも効果を発揮するチェックリストだけれど、そんなに普及はしていない。それは何故かも語られる。

人々が手順を忠実に守らない理由の一つに、硬直化が怖い、というのがある。機械的にチェックリストを使っていたのでは現実に対処できなくなる、チェックリストばかり見ていると心のないロボットの様になってしまう、と思い込んでいる。だが実際には、良いチェックリストを使うと真逆のことが起きる。チェックリストが単純な事柄を片付けてくれるので、それらに気を煩わせる必要がなくなる。・・・その分、・・・難しい問題に専念できる。

さらに医者としての著者自身の迷いも記述される。

医療では自主性こそがプロの証だと考えられているが、自主性は規律の対極にある。・・・一人ではとても習得しきれない膨大な量の知識を要する現代医療では、個人の判断ん任せるのは愚策だ。古い価値観にしがみついていては良い医療はできない。時々思い出したように「仲良く協力しあいましょう」と言っているようでは駄目なのだ。本当に必要なのは、絶対に協力しあうという決まりを作り、常にそれに忠実であることだ。

チームワークさえもチェックリストの対象になり、それを自分の職場でも試す価値があるかもしれないというのが、この本を読んで得られた一番大きなものかもしれません。


Checklist for Checklists – Project Check Checklist for Checklists - Project Check

憧れの人から学べるのは、彼になれない絶望と「不確実な状況に飛び込み、自分を変えていく」勇気。

伊集院光とラジオとの2016/8/9のゲストはイッセー尾形だった。

伊集院光 公式ブログ – 生放送後記 – Powered by LINE 伊集院光 公式ブログ - 生放送後記 - Powered by LINE

そこで、何というか職人に憧れて「こうなりたい」と思うこと、そうしてその人の方法論や手順を真似ようとすることと、本人のやってきたことには、大きな隔たりがあるんじゃないか?と「ハッ」とした。そのことについて書き残しておく。

イッセー尾形がやってきたことと、真似たい側が聞きたいことのズレ

リスナーからの質問がくる「どうやって人間観察をしているんですか?」と。イッセー尾形は答える。

よくそのことを聞かれて30年以上答えてるんですけどね。相手が納得した顔は、一度も見たことがない。どうすればいいのかな?

観察って言うと見に行くわけじゃないですか。見に行くわけじゃないんですよ。目に入ってくることはあるわけですよ。

自分のいる場所や、周囲にいる人で、「印象にのこちゃう人」が自分の中にも、他の人にもある。ネタを考えているときに、ストックから出す訳じゃなく、こういうネタをつくろうとするときに「ふと」○○な男が××な状況にいると面白いんじゃないかと、考え出されていくと語っていく。

多分、本当に聴く人が知りたいことと、イッセー尾形がやってることの間に、山より高いへだたりがあるんだなと思った。情報が足りないんじゃない、説明が足りないんじゃない、方向性や出発点自体が全くズレてしまっているんだ。

僕は憧れる。イチロー、天野篤、伊集院光、川上量生・・・。その人が書いた本を読んだり、情熱大陸見たり、その人がやってことをその通りに真似てみようとしたりする。また、昔「その人から言われたようにやれば、その人のようになれる」って思いこんでた時期もあるけれど、それも大きな間違いだったなと今ではわかる。あなたの憧れる人は、他人から言われたことだけをただこなすだけの受動的な人ではなかったはずだ。

イッセー尾形がやっているのはこんなことじゃないか

これ以降は完全に僕の想像です。

イッセー尾形は、ワザワザ面白い人を見つけようと出かけて、事前にこのポイントを観ようと考えて、観察したものをノートにまとめ、ネタを作る時にそのノートから情報を出すという訳じゃない。もうちょっと言語的じゃない、もっと肉体的で、作り出す、生み出すプロセスなんじゃないかな?と思う。

日々の生活の中で、自然にみていたものを、なんとか捻りだしてネタを作っていく。

その結果、その中で「これだ」と思うハッとする爽快感、観客の笑い、に浴びせられる。

その後、自分の自然な生活の中でも、その焦点のあてかた、注意の向け方が変わり、習慣となっていく。

だから「どういう風に(な戦略で)人間観察してるんですか?」じゃなくて、沼からドロドロに掴みだしたものによって、自分という生き物のシステムが変わっていった。そういうモノをつかみ出す生き物になっていった、ということなんだろう。なんていうか、餌が取れる泳ぎ方を続けていくうちに、エラやヒレの形が変わってしまった魚のようなもの。きっとその形になる確証なんて全くなかった、ただただ泳ぎ、食べてきたことによって、その形になってしまったというものなんだろう。

こういう風に、生身の自分で飛び込んで、自分なりの形で正解が分からぬまま作り出し、人前にさらし、どんな結果になるか分からないけれど、生き物としてのシステムを変える。そういうことなんだろう。

そして、それは、ハズレを引く可能性を含んでいる。自分が死ぬ可能性、自分が間違ったものになってしまう可能性、尊敬する人からお前違うぜと言われる可能性。そういうリスクがあるなかで、「でもやるんだよ」ってことがきっと彼を変えていったんだろう。

僕は彼らと同じ世界でどう歩いていくんだろう?

僕は、自分の領域でのエキスパートに憧れた時に、喋り方や仕草を真似てみたり、本を読んでみたり、同じところに行ってみたり、そういうことやってみたりした。確かにそれも1つの方法かもしれない。けれど、僕はその方法では完全に行き詰まってしまった。好きなブロガーのpalさんのツイートを読んだ時も、似た感覚があった。

佐藤寿人を真似ても彼がやっている方法をやったとしても全く同じにやったとしても、きっと、きっと、彼と同じには絶対なれない。それは、とっても残酷なこと。

自由研究をしたり、卒業論文を書いたり、自分から何かを考えてやってみる経験と言うものに昔から疑問を持っていた。既に確認されている効率が良くてすばらしい情報があるのに、なんで1からやらないといけないんだ。けれど、その場面を用意した人たちが考えていたのは。何もないところから何かを作り出す体験を学んで欲しかったんだろう。文字として書くと当たり前のことだが、僕は実感として掴むのに時間がかかりすぎたように思う。

誰かに憧れて何かを始めると言う事は、必ずどこかで「憧れる大好きな人にはなれない」という最初の夢をあきらめなければいけない。悲しい絶望を受け入れなければならないっていう宿命を背負っているのだと思う。けれど、悪いことばかりじゃない。それは、憧れの人の勇気をもらって歩くことで、自分になれるチャンスが残されている。

ぼくができること

大好きな人たち。憧れの対象として、これまで僕の心の中にいてくれて、本当にありがとうございました。僕は、あなたたちをある側面で切り捨てていきます。

大好きです、さようなら。